校章
こうしょう校旗の図案は、中央に故郷の子持山をかたどり、その両側に母校の発展と飛躍を表す翼を配したもので、子持山の形は同時に小学校の「小」の字をかたどっております。
当時、私たちの帽子の記章は、桜の花びらをかたどった画一的なものであったと記憶しています。そこで、何か特徴あるものにしたいと考え、その結果、子持山の懐に抱かれた学校のイメージを思いついたのです。いつまでも素朴な人の心の通い合う学校であって欲しい。そういう思いをこめました。
(埼玉県川越市 千明 武さんのお便りから)
校歌
中郷小学校に赴任した昭和39年の秋に東京オリンピックが開催され、その直後、当時のPTA会長斎藤友衛氏が「オリンピックを記念して校旗を作ろうではないか。」と話を持ちかけてくれました。私も前々から、校旗は学校のシンボル、校歌は児童の心のより所として、ぜひほしいと考えており、「校旗も欲しいが、同時に校歌も欲しい」旨話しましたら、会長さんが「では両方作ろうではないか。」とおっしゃってくださったので、さっそくお願いすることにしました。
昭和40年3月28日卒業式当日、PTAの方々のお骨折りで、校歌の作詞・作曲者、校章・校旗の作成関係者をお招きし、村当局・部落の方々のご参列をいただき、PTA会員・学校の職員児童が一堂に会して盛大な発表会を持つことができました。児童も地域を挙げての贈り物に心から喜び、校旗を前にして目を輝かせ、後藤先生のご指導で声高らかに校歌を斉唱した、あの時の情景・満場の笑顔、そして、PTAの方々のお骨折りが今もなお、まぶたに焼きつき強く残っています。
(佐藤恒雄) 「中郷小学校百年のあゆみ」より