子持村(Ⅰ)
位置 東経139度1分,北緯36度31分,標高210m(役場)面積4100ha,東西6.3km南北9.84km
子持山(1296m)の南面,利根川と吾妻川の合流地に広がる農村地だが,近年の道路整備等により宅地化や大型店の進出が著しい。
子持村(Ⅱ)
1960年(昭和35年)長尾村と白郷井村が合併して子持村が誕生。横堀・北牧・吹屋・白井・上白井・中郷の6つの大字からなり,人口は12,333人,世帯数は3617(2001年10月1日現在)
1979年(昭和54年)子持村発足20周年を記念して,村民から村の木と花を募集し,決まったのが「かえで」と「菊」である。かえでは万葉集の中の子持山の歌に「子持山若楓のもみづまでねもとわは思ふなはあどか思ふ」とうたわれている。
村内の小学校3、中学校1の全校に食堂が完備され,1982年(昭和57年)から各校とも児童生徒が学年・学級をこえて,ひとつのテーブルで食事を楽しく食べ教育効果をあげている。今は3年生以上が学年・ブロック単位で利用している。
中郷中組の人 1868年(明治元年)貞三郎は病弱の両親を弟妹と力を合わせて看病をしながら,大黒柱となって家業の農業に励む。その親孝行ぶりが世に伝わり,1882年(明治15年)10月,国から緑綬褒章が授与された。
1976年(昭和51年)から建設され,村民のスポーツの拠点として親しまれている。総面積は72000㎡,ナイター設備のあるテニスコート・野球場・プール・ゲートボール・弓道場・陸上競技場等が完備されている。毎年,村民体育大会もここで開催されていた。(現在は子持中で開催している。)
中郷の浅田・長坂・中井・久保・加生・子ろくでは昔から7月25日に「ぎおんまつり」を行っていた。この日は(今はあまり見られないが)若者や子どもたちがおみこしをかつぎ,たいこの音に合わせて,元気よく村中をねり歩き大勢の見物客でにぎわった。
1960年(昭和35年)子持村発足にともない,役場を現在地〈吹屋384)に設置。総務・企画・産業・建設・保健福祉・税務・住民・水道・会計・土地改良の10課と教育委員会・議会事務局があり村民の生活・文化の振興と福祉の向上に尽くしている。
上白井長峯にある空恵寺は806年建立。その後白井城主長尾氏のぼだい寺となる。
境内に長尾氏代々の城主の供養塔がある。山門は元禄年間(1700年ごろ)に建てられたもので,1955年(昭和30年)群馬県指定重要文化財になった。
旗の中央の校章は,山は子持山を,両側の翼は中郷小の発展と飛躍を表す。中井出身の千明武氏の作。校歌の作詩は元中郷小学校長田中義夫氏,作曲は群馬大学教授の後藤重樹氏。校章・校歌とも中郷住民から募集し,1965年(昭和40年)制定された。
国道17号の子持入ロの信号から子持神社へ通じる村道。約700mの両側に桜・かえで・つつじ等数百本と樹齢3,400年の老松が続く。子持村の名所の一つで,桜の一咲く4月下旬を最高に四季を通じて関東平野を見下ろす風景はすばらしい。
前田向の農協子持支所の隣にある。1974年(昭和49年)に新農村振興事業として創設。お茶生産組合,組合員数192人,お茶生産量は生葉1.5t~2t。製品はその5分の1程度。お茶委託加工利用者は,北群馬郡,渋川市,赤城村,北橘村にも及んでいる。
中郷小学校PTAは父母と教職員が協力して,家庭と学校と社会における児童・青少年の幸福な成長を図ることを目的としている。そのために,よい父母,よい教師になり,児童の校外生活を指導し,よい生活環境づくりに努めている。
長尾氏が白井に居をかまえた1256年(康元元年)から約150年を経て,室町時代,長尾景仲は白井城を整備し,関東地方に勢力を誇る。月江和尚を招き,双林寺を開基。学問もよくし,文武に優れた武将。現在,双林寺にある木像は県指定の重要文化財。
鳥酔は上総出身の俳人。本名は白井信興。旅をよくし,白井,双林寺を訪ねて,この地の人に俳句を指導した。鳥酔死後35日忌に弟子が師の遺歯を分け合いゆかりの双林寺境内に埋め塚を建て供養した。安永8年建立。群馬県史跡に指定されている。
1985年(昭和60年)秋,子持中の西の畑の下から発見された約1400年前の村。榛名山二ツ岳の噴火により埋もれていた住居跡,庭,畑,あぜ道などが鮮明に発掘され,当時の人々の生活が浮き彫りにされた。その保存の良さに文化庁が超一級の折紙をつけた。
村の教育委員会は自然と歴史の里めぐりとして3つのハイキングコースを設定。A子持山コース,B白井城・三国街道コース,C文学碑コースで,いずれも1日のハイキングコースとして最適である。教育委員会にはガイドマップが用意してある。
子ろくの直松の諏訪神社に太々神楽と獅子舞。中井の大神宮様には太々神楽が保存されている。昔から両神社の例祭に郷土芸能として奉納されている。5月1日の子持神社の例祭には交代で,太々神楽を奉納している。いずれも,村の文化財に指定されている。
月江和尚が双林寺を開いた時,カヤの実の数珠を持参。その一粒をまいたのがこの木と伝えられる。「開山のつなぎガヤ」と呼ばれ双林寺の七不思議の一つ。樹齢500年と推定される大木で勢いは今なお盛んである。群馬県の天然記念物に指定。
群馬用水は1969年(昭和44年)に完成。沼田市岩本の利根川から取水,子持村で赤城,榛名両幹線に分水。子持村をはじめ、17市町村が、榛名幹線を利用。子持村は420haの田畑が利用し,水田の米作りや野菜のビニルハウス栽培が盛んになった。
双林寺は白井城主長尾景仲が建てた禅宗曹洞宗の大きな寺である。この寺に昔から伝えられている七不思議は有名である。即ち,開山の一つ拍子木・蛇頭水・千本樫・開山のつなぎガヤ・忠度桜・山門小僧とつる・底なし鏡井戸である。
1959年(昭和34年),三国トンネルが開通したことで,村を縦断する国道17号線は新潟と関東を結ぶ重要な道路になった。子持村にとっても村の発展の大動脈。関越自動車高速道路の開通に伴い,交通量は多少減少したが,その重要性は変わらない。また,1996年(平成8年〉に吾妻新橋ができ,鯉沢バイパスの一部が開通した。
中郷小学校の秋季大運動会で最も盛りあがるのが,子持・赤城・榛名・妙義の団別リレーである。例年,全児童が4団に分かれ,各種目の演技を行い優勝を争っている。
○心豊かな子・・・自然愛・人間愛を大切にする豊かな情繰を身につける。
○深く考える子・・・自から考えるカを養い創造的な知性と技能を身につける。
○たくましい子・・・強じんな意志カを養い自立精神を身につける。
子持村にこんにゃく玉が導入されたのは1910年頃(明治の末期)。その後,栽培方法が研究,改良されて現在に至る。1974年(昭和49年),村こんにゃく生産組合が「朝日農業賞」を受け,その記念に,こんにゃくの碑を,こんにゃく火力乾燥場の庭に建立した。